サしていないなどと、云えるものがあったら会って見たいものだ。思想と文学との結合の仕方には、こういうものがあるのだということを、思い知るべきだろう。ディドローの風刺文学としての哲学書『ラモオの甥』(本田喜代治訳)と、色々の意味で、全く好一対である。
『ラモオの甥』の方は同じ面白くても、少しムズかしい点もあるが、『カンディード』の方は大変やさしく面白い。心情のやさしいカンディードの冒険的な運命物語りで、アラビヤンナイトみたいな処もある。が第一の要点はライプニツ哲学の予定調和説と夫に結びついている神義論と楽天説との、経験的事実による転覆である。経験的事実の世界はありとあらゆる不幸と悲惨とに充ちている。著者は之をまるでモダンな筆致で坦々とリアリスティックに描き出す。第二の要点はその不幸と悲惨との無用な充満に最後の責任を持つものは、坊主と教権組織だという一貫した主張だ。悪いことは皆んな坊主が一役買った結果に他ならない。第三の要点は、この悪魔的ペシミズムの哲学にとって唯一の息抜きである理想郷エルドラドーであり、そこで発見される処の「科学」への信頼と希望とだ。処でどの要点も、まことに近代的に生々しい
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