である。之を割合に克明に理解すれば、その人の思想の骨肉ともに比較的早く呑みこむことが出来る。大がかりに書き下した「体系的」な著述の類は、云わば文筆的な儀礼が大部分を占めていて、筆者の本音は仲々伝えられるものではない。
 それに所謂書き下し著書なるものは、一種気合いの抜けた、平均された結論が先に立っているもので、著者の思考の苦心の跡は、お客さんの前に出た主人達の夫婦喧嘩のように、ケロリと片づいて見える。これでは読者は、あたりさわりのない隣人の程度を容易に出られるものではない。どうせ物を書くのは、日記にしても著書にしても、一つのポーズであることは甘受して肯定しなければならぬが、ポーズにも儀礼的なものとそうでないものとがある。所謂体系的な著書は第一公式か第二公式の儀礼に従ったものなのだ。
 評論集や論文集は、併しそうではない。一篇々々の文筆が粒々たる苦心と混乱克服との跡である。遂に混迷に立ち佇んで終っているものさえある。そしてこの文化的に愛嬌さえある文章の一つ二つを丹念に読み、其の他の諸篇を参照しながら行くと、不思議と、或る抜け穴が見えて来るものだ。そうなれば著者の考え方と思想とは、もしも著
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