を取った所謂哲学という形を有つ哲学よりも、文学主義的な立場をハッキリと表面に現わし、従って文学的な内容の豊富なような哲学が主として選ばれた。『ニーチェ全集』やキールケゴールのもの又或る制限の下では『ゲーテ全集』などが夫だ(ニーチェに関する研究書は著書と訳書を加えて三四種に及ぶ)。之に反してプロパーなブルジョア哲学の出版物は、解説風のもの(岩波の『大思想文庫』)を除けば、非常に少ない。
 この中性的イデオロギーによる出版現象の台頭に直接する、哲学・思想・社会・理論・其の他の一種のこの文学化と関係するものに、批評の問題への関心が存する。ティボデ、ファゲ、サント・ブーヴのものなどが訳されている。之は元来、吾々の問題探求の深化でなければならないのだが、下手をするとその皮相化に終る危険があるだろう。
 政治上の自由主義はとに角今日極めて困難に面接している。之に反して、右に見たような意味に於て、文化上の自由主義は中々盛んであり、又根強いものがあると考えられる。もし左翼的な進歩性と、自由主義者の進歩性とがあるとすれば、この両者がいかに結びついて行くかは、一九三六年度の出版界に就いての興味ある観点だろ
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