書の形をとる。そしてこの中性式教科書好みは無論決して自然科学だけではなくて、社会科学に就いてもその通り云われることだ(尤も改造社の『現代金融経済全集』や『統計学全集』などは、評論社や改造社が往年競争して出版した『経済学全集』の類とは較べものにならぬが)。この教科書好みの大規模なものは辞典や古典の全集となって現われる。辞典の方は尤も、勉強を省略しようとする読者にとって魅力を有つが、古典の全集は恐らく勉強するために買われるわけだろう。文芸辞典やゲーテ・ニーチェ・ドストエフスキー(尤も再版)其の他の全集が、出つつある。
だがイデオロギーの中性を求めるというこの読書界の大きな部分の現象、即ち又それに相応する出版界の現象は、一面に於て地道な手続きを取った探求の精神の現われであると共に、直ちに又他面に於ては、却ってつきつめる底《てい》の探求を放擲するものであるということを、深く注目しなければならぬ。之は左翼運動家の転向現象とも一定の関係があり、左翼思想家の退却とも連りがあり、それから特に文学の世界に於ては、文学主義化の傾向とも連絡があるのである。だから例えば、同じく中性的な哲学でも、普通のコース
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