梠繧フ道標」(片上伸論)とにまず第一段として現われている。之は並々ならぬ良識とそれを裏づける展望ある教養とを示している。若々しさと共に一種初めから出来上った感じを与えるものもこれだ。併しこの点よりもより一層私を動かすものは、彼の感覚、彼の感官そのものが、稀に見る程マテリアリスティックに出来ているという第二段の良質である。「マルクス主義的」乃至左翼的な文芸評論家は沢山あったし沢山あるが、平凡な観念論的感覚の詩人や何かではあっても、良心から云ってマテリアリスティックなセンスやムッドを持った人間は案外少ないのだ。宮本の価値は、その教養ある素質が正にこの唯物的感情によって研ぎ澄まされているように見える点だ。
この感覚の確実さを見るには、寧ろいくつかの「文芸時評」なる項目を読むといい。彼はマテリアリストでなければ見出せないいくつかの的確な発見をしている。ものの良し悪しを殆んど本能的にピッタリと云い当てているのが判る。人真似や右顧左眄の産物には決してあり得ないことだ。
ただ彼の素質は理論家ではないようだ。理論的な分析を企てた「評価の科学性について」や「同伴者作家」の項は、やや凡庸である。彼は理
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