`で発表することが、トロツキー主義に事実上符節を合わせるものであるという点が、文化問題を政治問題と独立に考えている例の文化主義者たるジードにとって、どこまで行ってもピンと来ないのは当然だ。
 (付記、ジードの『ソヴェート紀行修正』については別に)。
[#改段]


 5 宮本顕治の唯物論的感覚


 或る意味で近来の待望の書は宮本顕治『文芸評論』と内田穣吉『日本資本主義論争』とだろう。後者については、追って書こうと思っている。宮本顕治は蔵原惟人に並ぶ素質を持った殆んど唯一の文芸評論家である。単に左翼評論家の内でそうだというのでなく、蔵原が日本の一般文芸評論家の内で占めている追随を許さぬ位置を認識した上で、そう呼ぶことが出来ると思う。
 なる程宮本の活動の期間は大へん短い。この『文芸評論』にしてからが決して大部な本ではない。それにまだ年もあまり取ってはいないから善かれ悪しかれ若いものを感じさせる。だがいつでも大切なのは素質――そして社会的な――にあるのだ。その意味で彼の「素質」を高く吾々は買わねばならぬと思うのである。
 彼の素質の良質な点は、有名な「敗北の文学」(芥川竜之介論)と「過渡
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