情緒の論理的背景として、合理主義[#「合理主義」に傍点]について思いをめぐらしている。だがこの合理主義と個人奪還説とは、どうやって結びついているのだろうか。反ファッショ的論拠が合理的精神にあることは、当然であり又今日の常識だ。だが今日の文化上の根本困難の一つは、この反ファッショ的な合理的精神と人間個人の復活という二つの常識の間に、どういう必然的な繋帯を発見するかにある。今日の日本のヒューマニズム論議が今だに解き得ない要処がここだ。この『人間の世界』も、この点に来るとやはり無力であるようだ。
 だが本書の価値はまず、人間が人間外、人間以上、のものに対する、反逆この反逆一般[#「反逆一般」に傍点]の精神にあるのである。思えば今日程人間の反逆的精神一般が不足を感じている時はない。反逆精神が減ったからではなく、反逆精神の必要が増したからである。そこで清水氏は、悪を(之は必ずしも神学的なあの悪のことではなくて社会面の記事で云う社会悪に近い)反逆の一つの形式と見る。個人の傲慢不遜も新しい反逆のモラルと考えられる。所謂歴史論風な歴史も亦踏みにじられねばならぬ。ここが著者の本書に於ける結局の覗い処であ
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