非社会的や社会前的な個人が人間なのではない。
 この「人間」が何であるかはとに角として、清水氏はなぜこうした「人間」や「個人」に到着したのだろうか。同氏は進歩的な社会学者である。社会主義に対する良い理解者である。にも拘らず現代日本の多くのインテリゲンチャと同様に、社会主義に対する良い理解者である以上に出ない。と云うことは、理論上でも之に対する傍観者だということにもなる。社会主義的社会科学が、あまりに多く社会と社会階級とが有つ客観的意義を強調しすぎ、個人が之を主体的に作為するという点を忘れすぎていた、という常識を是認することから、人間的真実を専ら社会ではなしに個人に求めようという結論を導き出したようにさえ、私には思われる。
 清水氏はかつての社会主義的社会科学に、或る宗教的な特徴を見たらしい。処がこの宗教的特徴を洗い流すために、社会主義的社会科学そのものからも手を引いた。その結果、同氏が最も烈しい批判の相手とした処の「社会学」的な或るものに自分自身行きついて了ったようだ。社会学というレッテルは氏にとって多分迷惑だろう。だから私は所謂ゾチオロギーだけを今日の社会学だとは思わない。寧ろ今日[
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