社会学のこうした武器[#「武器」に傍点]がどれ程戦闘力を持つか、否どれ程戦闘力を有たないか、は今更問題ではないが、必要なことは、社会学[#「社会学」に傍点]なるものが、一般にいって、いつもこうした反唯物史観的武器[#「反唯物史観的武器」に傍点]の所有者だという点である。――だから、唯物史観を一つの社会学として、仲の好い社会学者達のサロンの食卓につけることは、単に唯物史観にとって馬鹿々々しいばかりではなく、社会学自身にとっても迷惑なことだろう。
 然し社会学が、言葉通り社会の学(社会科学)を意味するならば、そういう言葉をわれわれは何も好き嫌いしなくても好いだろう。
 で唯物史観が一つの社会の学であり、その限り社会学と呼ばれて好いとして、問題は、この社会学と他の社会諸科学(経済学・法律学・政治学・又歴史学・等々)とどう関係するかである。この問題は併し可なり原理的なものから来ている。
 ブハーリンは唯物史観を社会学として規定しながらいっている、それは社会と社会発展法則との一般的理論である、と。それは経済学や政治学という特殊の理論ではなくて一般的[#「一般的」に傍点]理論であり、又それは一般史
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