る文化主義的リアリズムでは、そういう君の哲学では、判らぬものが世界には沢山ある筈だ、ホレーシオ君よ。
もし仮にもっとマテリアリストとしての思考の訓練を経た他の人がソヴェート紀行を書くなら、ジードの『紀行』に載った材料の凡てと、その他のジードが見なかった又は書き留めなかった材料とによって、ジードとはやや反対の結論を導くのではないかと考える。私はフォイヒトヴァンガーのものも全部は読んでいないし、ウェッブ夫妻のものも見ていないが、私の想像は決して空想ではあるまい。
だがそれにも拘らず『紀行』はフランスの自由な一思想家文学者の、最も誠実な印象記として、敬意を表するに値いすると信ずる。この本が出版された際に提出された反対、抗議、誹謗の内には、この誠実ささえ疑おうとするものも少なくなかったが、私は少なくともこの誠実だけは信じることが出来ると考える。吾々がサンセリテの思想家として紹介されているジード氏を、この『紀行』は決して裏切りはしなかった。ジード氏が誠実であり、又誠実であったということを、私は少しも疑うことは出来ない。のみならず誠実から来る一種の文化的勇気――之は下手をするとドン・キホーテの
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