ものであるが勿論彼はキホーテではない――に敬服さえするのである。
 ただもし疑う余地があるとすれば、ジード氏やその他の文化人が、事実上持っていることに間違のないその誠実そのものが、どれだけの信頼に値いするかである。誠実は信用されていい、だが信頼されてはならぬ場合が多い。人間性や良心というものと同じに、誠実は如何なる誠実であるかを問わねば、単に誠実であるというだけでは、個人的に信用出来ても、客観的には信頼出来ないことがあるのだ。
 私はかつて以上のような主旨を、手短かに一二度書いたことがある。処が今度堀口大学氏訳の『ソヴェート紀行修正』を読んだ。その結果は、右の私の見解そのものを修正しなければならなくなったのである。ジード氏の修正が修正であると共に或る方向の発展であるように、私の読後感も亦、前言の修正であると共に、或る方向への発展を余儀なくされる。
 まず『紀行』と『修正』との出版の直接目標の差に、私は第一に気がついた。紀行の方はソヴェートをよりよく理解させるために、ソヴェートの友に与える文章である。それを書いているジード自身が、みずから何遍も強調しているように、ソヴェートの友として語っ
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