ことを云っているのではない。そういうものがなくても修正は『紀行』よりもジードの生産機構や社会機構に対する注目を示している。処がその注目が、依然として文化主義者らしく、又文学者らしいのだ。
『修正』の方は後にして『紀行』はその体裁から云っても極めてジードらしい。つまり文化主義が純粋な形で、従って又それ相当の尊敬を要求しているような形で、首尾一貫して現われている。誠実な文化人、特に純粋で鋭敏な文化主義者ならば、ああ感じるのが当然だという気がする。之がジードに対する同情を惹き起こす。之が正しい興味を呼びおこす。
好意のある興味と同情とは、勿論ジードの見解の狭さを指摘することとは矛盾しない。文化主義者ならああ感じるのが尤もだという理解は、だから文化主義者が正しいということと一つではない。吾々はジードの感じ方に同情を示しながらも、決してそのままジードに追随することは出来ない。吾々は世界の出来ごとを見るのに、ああした文化主義の角度からするのを、世界の文化人に最も普及した原則上の誤りだと考えるものであり、物ごとをもっと唯物論的に見ねばならぬと考えるからだ。マテリアリスティックなセンスを全く欠いている文化主義的リアリズムでは、そういう君の哲学では、判らぬものが世界には沢山ある筈だ、ホレーシオ君よ。
もし仮にもっとマテリアリストとしての思考の訓練を経た他の人がソヴェート紀行を書くなら、ジードの『紀行』に載った材料の凡てと、その他のジードが見なかった又は書き留めなかった材料とによって、ジードとはやや反対の結論を導くのではないかと考える。私はフォイヒトヴァンガーのものも全部は読んでいないし、ウェッブ夫妻のものも見ていないが、私の想像は決して空想ではあるまい。
だがそれにも拘らず『紀行』はフランスの自由な一思想家文学者の、最も誠実な印象記として、敬意を表するに値いすると信ずる。この本が出版された際に提出された反対、抗議、誹謗の内には、この誠実ささえ疑おうとするものも少なくなかったが、私は少なくともこの誠実だけは信じることが出来ると考える。吾々がサンセリテの思想家として紹介されているジード氏を、この『紀行』は決して裏切りはしなかった。ジード氏が誠実であり、又誠実であったということを、私は少しも疑うことは出来ない。のみならず誠実から来る一種の文化的勇気――之は下手をするとドン・キホーテのものであるが勿論彼はキホーテではない――に敬服さえするのである。
ただもし疑う余地があるとすれば、ジード氏やその他の文化人が、事実上持っていることに間違のないその誠実そのものが、どれだけの信頼に値いするかである。誠実は信用されていい、だが信頼されてはならぬ場合が多い。人間性や良心というものと同じに、誠実は如何なる誠実であるかを問わねば、単に誠実であるというだけでは、個人的に信用出来ても、客観的には信頼出来ないことがあるのだ。
私はかつて以上のような主旨を、手短かに一二度書いたことがある。処が今度堀口大学氏訳の『ソヴェート紀行修正』を読んだ。その結果は、右の私の見解そのものを修正しなければならなくなったのである。ジード氏の修正が修正であると共に或る方向の発展であるように、私の読後感も亦、前言の修正であると共に、或る方向への発展を余儀なくされる。
まず『紀行』と『修正』との出版の直接目標の差に、私は第一に気がついた。紀行の方はソヴェートをよりよく理解させるために、ソヴェートの友に与える文章である。それを書いているジード自身が、みずから何遍も強調しているように、ソヴェートの友として語っているのである。処が『修正』の方は、『紀行』に対する反対者への反駁が直接目標だ。ここではジードはソヴェートのために物を云っているのではなくて、専ら自分の見解を維持するために物を云っている。ここでのジードは、もはや、つけ足しにそう云っていないでもないに拘らず、ソヴェートの友としてではなくて、専らジードの友として物語っている。「イライラした」語調や「ギラギラした」文体と批評されているのは、彼自身何を云おうと守るべきものはソヴェートではなくなってジードの思想自身になっていることを告げているのだ。
私は之を不当だとも正当だとも云わない。併しまず第一に、不可解なのは訳者堀口氏の左の「あとがき」の一部に関する点だ。『紀行』中でこう叫んだその声も、今は絶望と反抗の声に紛れてしまっている。曩には、人間的感情といい、青春といったようなものは、無条件に承認し得たのだった。それが「修正以前の唯一のオアシスだったのだ。ところが、今はただ良心に従ってソヴェート連邦に容赦のない反撃を加え、徹頭徹尾ソヴェートの敵になってしまうより仕方がなくなった。」私にとっても亦、『修正』の読後に、訳者と似た印象が残る。この印象
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