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 13[#「13」は縦中横] 古本価値


 散歩の序でに、小さな古本屋で、ルナンの『科学の将来』という小さなうすぎたない本を見つけた。三十銭で買った。『ヤソ伝』のエルネスト・ルナンが一八四八年頃、二十六七歳の若さで書いた本である。翻訳者は西宮藤朝氏で、氏はたしかブトルーの『自然法則の偶然性』を訳出していたと思う。この訳は全体の約半分を含むもので大正十五年に資文堂という出版屋から出ている。叢書形式の内の一冊かも知れない。そうすれば半分だけを訳して出すということも、分量の上から云って止むを得ないことだったかも知れない。
 併しそのために、何と云っても出版物としての価値を損ずること甚だしいのは事実だ。この原著自身は、何も隅から隅まで目を通さなければならぬ程大事な内容で充満しているわけではなく、まだ幾分に生まな常識のかき合わせに過ぎぬと思われる部分も多いが、それにしても訳者も云っている通り、ルナンの其の後の仕事の方針を宣明したものとして、大いに価値のある文献なのだが、それが半分では、全く雑本としての価値しかない。こう古くなって誰も手にとっても見ないようになると、そういう点が特に目に立つ。惜しいことだ。
 同じ頃でた本で山田吉彦氏訳のリボオ『変態心理学』というのがある。之はリボーの有名な『記憶の疾患』、『意志の疾患』、『人格の疾患』の独立の三著を、三部作であるが故に、一冊にして訳出したものだ。そういう加工だけですでに、古本価値[#「古本価値」に傍点]のあるものだ。恐らくあまり人の読まないだろうこの訳書を、私は割合大事に、蔵っておいている。之は独り原著が優秀であるばかりではない。
 序にルナンは文献学と哲学とを比較して、文献学に二次的な位置を与えている。之は私にとっては興味と同情とに値いする点である。又訳者がフィロロジーを文献学と訳した一つの小さな見識にも敬意を払っていい。科学的精神が問題になる折柄、通読しても、無駄にはならぬようだ。
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 14[#「14」は縦中横] 文化が実在し始めた


 ミショオの『フランス現代文学の思想的対立』(春山行夫訳――原文は英語)は私にとっては最初から興味のあった本で、読んで見て勿論失望はしなかった。今日一国の文学を論じる以上、之を思想問題として論じなくてはならないのは、当り前すぎるほど当り前なのに、多くは、た
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