、ものの観察も当然こういうやり方で行なわれなくてはならぬ。両者の対比と連関とをこの本では具体的に丁寧に述べている。読者はここで又マクドゥーガルの心理学を思い出さねばならぬだろう。――なお形態心理学の研究が盛んなのは九州帝大の心理学教室で、古典的な文献の集録も出版されているし、研究発表や著述も多い。
[#改段]
12[#「12」は縦中横] 「外国人」への注意書
板垣鷹穂氏の評論集『現代日本の芸術』は、五年前に出た『観想の玩具』以来の最初の出版である。そう云っても実はこの本は、同氏の十八冊目か十九冊目の本だ。それ程氏は多作な評論家である。だが今度の評論集は恐らく従来のもの以上に面白いものではないかと思う。大変実際的な落ち付いた観察を以て終始していることによって、或る一つの纏まったアトモスフェアをハッキリと醸し出している。練達の士のものしたものであることを思わせる。
寧ろアトモスフェアが出来上り過ぎてさえいないかということが気にかかる程だ。氏の文章にはもはや青年らしい焦慮も野心もない。文化世間での苦労人らしい坦々たる論調と共に長者らしい鷹揚ささえも備わっているのである。元来氏はアカデミックな気むずかしやの一人である。直子女史のアカデミー振りと琴瑟相和す部分もないではないようだ。併し結局氏は批評的精神ではなくて肯定的精神である。世俗的な権威についての最もよい理解者の一人であることにもそれは現われている。落ちつき払って見えるのもそこに原因しているらしい。
処でこの評論集は異彩陸離たるものがある。都市、流行、建築、文芸、映画、美術、写真、舞台、放送、教育、という十項目の下に、夫々二三篇から二十篇の文章が収められているが、現代日本人の日常生活に於ける芸術形態を、これ程親切に忠実に、紹介批評し、且つ記録したものは、他に殆んどないと云ってもよい。氏には今日では特別のイデオロギーがあるとは云えない。だから氏は単なる記述者であるとも云うことが出来るかも知れない。併し、この記録者が偽りなく記録した結論は、恐らくこういうことになるらしい。曰く、現代日本人の芸術は、歌舞伎でもなければお能でもなく茶の湯でも生花でもない。所謂近代芸術こそがみずからのものと感じている芸術なのだと。色々な意味に於ける「外国人」――日本主義的エキゾティシストをも含む――にそういうことを教えるに有効な本だ
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