セの「文学」(?)の紹介と云った水準のものが、普通の通り相場である。そういうものに対比して、之見よがしに、之を持ち出して来るのも、一興である。
内容は少しゴタゴタしすぎている。それというのも、出来るだけ沢山の人について書こうとしたためだろう。ただの報告に近いものさえある。そういうニュース的な興味をもう少し節約したならば、文明評論としても生きて来るし、文化の真の報道としてさえも生きて来るだろう。
巻末の相当分量の付録「人民戦線以後の文学」という春山氏の筆になる文学と政治とのクロニクルは、この書物の意義をよく見抜いた上での補足というに値いしよう。
この頃私は、文化問題に関する諸国の評論兼報告と云ったものの、纏った本に関心を持っている。今のミショオのもその代表者であるが、国際作家会議報告の『文化の擁護』、国際連盟のインテリジェンス国際協会の記録『現代人の建設』、ミールスキーの『イギリスのインテリゲンチャ』(之はまだ訳が出ていないが)、ロマン・ローランの『闘争の十五年』(ジードの『ソヴェート旅行記』も入れてよい)、等々の纏まったものを買って読みたいという気持である。
右の本はまだ全部読んでいるわけではないが、それにつけても思い当るのは、「文化」という問題が本当に吾々民衆、と云って悪ければ吾々インテリ大衆、の生活問題そのものにまで高まって来たということだ。
文化は民衆の自主的なものでない限り、インチキであるという実感がいつとなく、わが国の思想をも捉え始めている。それは今云った出版の情況からさえも知られる。文化は実在し始めた。文化をゴマかしたりマルめたりするデマゴーグの征伐を、そろそろ始めていい時期である。
[#改段]
15[#「15」は縦中横] 科学主義工業に対して
理研コンツェルンの言論株式会社ともいうべき「科学主義工業社」から、『科学主義工業』という月刊雑誌がこの頃出ている。社長はよく知らないが、恐らく大河内正敏博士だろう。科学主義工業というのは博士が実施している最近の産業哲学であり、同時に工業経営の国家的大方針であるようだ。科学主義工業とは、資本主義工業に対立するのである。
この論旨を解明するものとして最も興味のあるのが、同博士の『農村の工業と副業』という小さな本だ。本の体裁は一見時局的際物の感があるが、内容はとにかく価値のあるものである。
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