て、政治論または時事論評と大して変った内容のものでないことは、寧ろよい特色だと思われる。ところで政治論の一群は言論界の苦労人であることを示すに充分である。時事論評にはやや一応の常識に流れたものも多いが、健康なリベラリストとしての強靱性を示していることに変りはない。婦人論や雑評もまた大体人物論に帰するが、これはうらやましくも最も余裕綽々たるもので、全く面白い。
阿部氏の最も得意とするところはつまり人物論であるという結論に、私はこの本を読みながら到着した。そしてその人物論が、実に現代世相を物語るそれぞれの短篇作品になっているというわけだ。杉山平助風の文学者的人間論とも違えば、野依秀市式の政治屋流人物観とも異る。正に阿部流人物論の型を確立したものといってよい。
[#改段]
10[#「10」は縦中横] 入沢宗寿著『日本教育の伝統と建設』
日本の伝統の問題、単にこの伝統なるものをかつぎ回ることではなくて、実際問題として之と取組まねばならぬという関係、夫は教育に連関して初めて切実になる問題だ。日本伝統なるものは教育に際して初めて実際問題となると思う。そういう意味で私は本書の書評を引き受けた。割合慎重に読んで見て得た収穫は、或る程度まで私の渇望が充たされたということである。だがそれだけに又、私がこの日本伝統の問題に関して懐いている疑点が、クローズ・アップされたことを意識する。
本書は四つの部分から成り立っている。第一篇「日本教育の伝統と現代」、第二篇「日本教育と宗教教育」、第三篇「日本教育内容の改善」、それから付録である。本篇三箇を一貫するものは、宗教教育の提唱である。著者は日本教育の伝統を歴史的に叙述することによって(「我が宗教教育の歴史的考察」や「日本教育史に於ける仏教教育」の如き)、日本教育の本質は宗教教育にあることを明らかにし、それが明治維新の誤った排仏毀釈と、キリスト教学校の反国家的教育方針とを縁とする宗教一般の否定、とによって遺憾ながら見失われてしまったことを反復力説する。道徳からさえ宗教的意味を取り捨てて了った。処で最近、学校に於ける宗教教育が説かれるようになった現象は、全くわが意を得たものだと考えている。
著者の云う宗教教育とは宗教的情操の教育であって成立宗教のものではない。そして夫は日本に於て、祖先崇拝・敬神・等々から始めて、忠君愛国にまで至り
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