り、同時にここが本書の結局の価値である。――私はこの点甚だ同感だ。だが依然として、この反逆が反逆一般であることについては心配がなくはないのである。清水氏は、この本を、人間を「強く」し、人間が自己を「幸福」にするために書いている。そのモラリストらしい心情は共感を禁じ得ない。ただ強がることも「強く」なることの具体的な一場合だし、「好い気になる」のも幸福の一種であるということを、清水氏は林首相や文武官僚などに教えねばならなかったのである。
 私はこの本を実は、極めて特色の豊かな、而も時代を象徴するに足る、良書だと思っているのだ。それだけに自分の意見を混えて見たくなるのである。
[#改段]


 9 朗らかな毒舌
       ――『現代世相読本』――


 阿部真之助氏の『現代世相読本』が出た。みずからいうところによると「この二、三年来の私の所謂『毒舌』の集積であって、いい換えると、私の善人振りを証明したものである」という。この言葉は決して嘘ではない。これほど痛快な毒舌を他に求めることが出来ないと共に、これほど善意で朗らかに読み取れる毒舌もまた少ないだろう。阿部真之助氏独特の毒舌タイプである。
 政治論約十六篇、時事論評約五十四篇、人物論大小合せて六十五篇程、他に婦人論その他の雑評九篇からなっているが、見られる通り人物論が比率にして一等多い。そしてこの人物論こそは最も利き目のある毒舌振りなのだ。と共に、又この位い素直さと一種の同情とによって貫かれた人物論を他に見ることが出来ない。氏は見方を誇張もしないがまた遠慮もしない。これは個人的利害関係の介在しない場合にだけありうる批評眼だが、しかしその他に批評家の持つべき確実さともいうべき或るリアリズムがなくては出て来ない風格だ。ところで氏はこのリアリズムに、キビキビとしたユーモアまたは愛嬌で更に一段と磨きをかけている。
 ありとあらゆる分野の人物を、よくもこんなに知り、よくもこんなに調べたものだという感じだ。新聞記者でなければ出来ない仕事だが、またただの新聞記者では書けないものだ。主観めいた観察のポーズなどは遙かに卒業済みであり、下手な人間学に陥ることを避けて、人物をその仕事と客観的な環境とから洗って行くところは、敬服に値いする。生きている人物の評論(棺を覆わぬ内の人物評論)として、上々のものだろう。
 人物論といっても大体におい
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