場合が多いし、又その進歩的な模倣によって「宗教批判」をさえし兼ねまじいのだが、そうする裏から、宗教的・神学的・形而上学的・そしてやがて又文学的な信仰[#「信仰」に傍点]を露出して来るのである。そこに着眼すれば間違いはない。
 彼等は宗教批判[#「宗教批判」に傍点]という、この唯物論の恐らく最も大きな使命の一つを、徹底する意図を決して有つことが出来ない。彼等が気にかけるのは、単に進歩的(?)に見えるかどうか、つまり気が利いているかどうかであって、決して、理論的に唯物論的であるかどうかではない。宗教批判などは、彼等によると、既成宗教の批判としてはバカバカしいものだし、宗教一般に対する批判ならば大した必要のあるものではないと考えられる。
 だがこうした一種のインテリゲンチャの好みなどとは関係なく、わが国の反宗教闘争の運動は決して四年や五年の歴史ではつきない本当の無神論が唯物論の名において展開されるようになってから既に相当の時間が経っている。処で併し、その理論的成果は今度初めて纏って本になったといってもいいと私は考える。なぜなら唯物論に立って、宗教問題を統一的に理論的に取り上げたわが国の書物では、何といってもこれが最初のものなのだから。
 内容は大体三つの部分に分れるといっていい。第一は宗教一般に関する唯物論的研究の綱要的な紹介、第二は日本宗教史の叙述、第三は現代の宗教復興の批判。
 第一では、アニミズム・トーテミズム、から始まって民族宗教・世界宗教・への発展を、実証的に又歴史的に更に又哲学的に解明している。これを貫く何よりも大切な点は、こうした宗教の発展段階がすべて社会の生産の発展段階に相応するものである所以を、組織的に論証して行っていることである。この部分は纏った宗教学教科書として役立つだろうと思う。
 第二の部分が、唯物史観による日本宗教史の唯一のものだという点に就いては、世間は殆んど疑問を挾む余地を持つまい。唯物史観に立たないものでも、こう手短かに且つ体系的に纏った日本宗教史はそんなにザラにはないのではないかと思う。そればかりではなく、唯物史観から行けば当然なことだが、読者はこの部分に実は手短かなそして特徴的な日本社会史のプロフィルを見ることが出来るだろう。著者はこれを書くのに、日本における若い専門家達の新しい業績を可なりの注意を配って採り入れているように見受けられ
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