はさし当り夫を繰り返す外はない。――マキャヴェリはその『君主論』に於て、〔君主〕に必要な譎詐・欺瞞・狡知・を分析し、権謀術策の原理を授けているが、その結果は計らずも〔君主〕の陰険な心事を暴露すると共に、一般に人間性の虚偽性を暴露している。之は人間論的虚偽論[#「人間論的虚偽論」に傍点]に外ならない。新明教授はここにイデオロギー論の近世に於ける最初の企てを見て取る。之は同時に一種の心理学的イデオロギー論[#「心理学的イデオロギー論」に傍点]でもあるわけだ。
 ベーコンになると事情は少し異って来る。F・ベーコンのイデオロギー論は例のイドラ[#「イドラ」に傍点]の理論に外ならないが、之はマキャヴェリのものなどとは異って、もはや単なる人間論的・心理学的・なイデオロギー論又は虚偽論ではない。四つの偶像がどれも社会的関係から解明されているのである。だから之は、今日行なわれている意味でのイデオロギー・社会意識[#「社会意識」に傍点]・の理論の先駆をなすもので、ただ夫が社会の分析の上に積極的な基礎を置いていないために、遂に本当のイデオロギー論にまで展開しないで終ったものだ、というのである。
 フランス啓蒙哲学に就いては、コンディヤックやエルヴェシウス、ドルバックの、認識理論又道徳理論が、一種のイデオロギー論として引かれている。その理由は、こうした意識諸形態を彼等は感覚や欲情や感性などという物質的根拠から説明しようと企てたからである。無論この場合は、イデオロギー論の萌芽とは云っても、殆んどイデオロギー論とは認めなくてもいい位いに不完全な、萌芽でしかない。イデオロギー論だとして、之は全くの[#「全くの」に傍点]心理的なイデオロギー論でしかない。
 イデオロギーという言葉の歴史的発展、否、歴史的変遷、を見るためには、ド・トラシの「イデオロジー」の解説は是非とも必要である。イデオローグの思想をこれ程纏った形で与えて呉れたのは、手近かには一寸ないのではないかと想像する。
 最後にシュティルナーとニーチェとの思想が、イデオロギー論として解明される。自我の内から既成の固定した観念を追放し唯一者の固有な所有に立ち帰らなければならない、というシュティルナー。真理や道徳が権力意志の本能的な創造的な而も功利的な基底に基く一つの上部的成果に外ならぬと考えるニーチェ。この二人の天才は近代に於けるイデオロギー
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