、之に対抗するために、文化社会学とか知識社会学とかいう名の下に、「社会学的」なイデオロギー論を造り出した。
 今日、イデオロギー乃至イデオロギー論というテーマが流行っているのが、こうした客観的情勢から必然的に出て来たものであることは、誰でも知っている。――処で、この頃は、流行るものは何でも却って評判を悪くする傾きがある。というのは「批判者」達は、何でも盛んに行なわれているものに対して、単に盛んに行なわれているというだけで、批判[#「批判」に傍点]したくなる傾きがあるようである。そういう理由からかどうか知らないが、イデオロギーやイデオロギー論というテーマは、必要以上に、無理に批判されなければならないように仕向けられている。その癖そういう批判者は、マルクス主義的イデオロギー論をブルジョア社会学のイデオロギー論から擁護する必要がどこにあるかも知らなければ、ましてイデオロギーの歴史的社会的発展展開の姿を分析し得るのでもない。またイデオロギー理論の歴史的発達を跡づけるという仕事を実践しようとするのでもない。
 東北帝国大学の社会学教授新明正道氏は、同教室の陳紹馨・飛沢謙一・の両氏と共に、『イデオロギーの系譜学』(第一部)を公にした。之はイデオロギー理論の近世に於ける発達史を辿る目的のもので、マルクス乃至エンゲルスと直接には関係のない時代を取り扱った部分であり、やがて、公にされる第二・第三・部ではフォイエルバハから始めて、マルクス・エンゲルス、及びその後のイデオロギー理論の発達を追跡しようとするものである。
 新明教授は、正統派的(?)なマルクス主義者ではあるまい。他の二人の共同著者も亦そうだろうと思う。それにも拘らず、イデオロギー理論の歴史的[#「歴史的」に傍点]な追跡は、一二の視角の小さな洞察の乏しい文献を外にしては、マルクス主義者によっても組織的に遂行されていないのではないかと思うが、恰もこの書物の著者達は、この欠陥を埋め合わせるために、この仕事に取りかかったように見えるのである。
 だから吾々は之を批判するよりも先に、之を紹介[#「紹介」に傍点]することを先にしなければならないわけで、客観的な必要から云っても、又この仕事の功績に対する敬意から云っても、そういう順序にならなければならないのである。
 私はすでに『東京朝日新聞』でこの書物を紹介した(次項)。だから紹介として
前へ 次へ
全137ページ中97ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング