ことは今日に至っても、無論変るはずがない。社会学が今日ありとあらゆる形において、依然一つの歴史乃至社会の哲学として、或いは形式的社会諸関係の本質論として、資本主義社会の保存のために忠誠を誓うことを忘れない。それは歴史哲学[#「歴史哲学」に傍点]としては、ドイツ風の精神哲学[#「精神哲学」に傍点](文化社会学・歴史主義・等々)であったりフランス風の社会学主義[#「社会学主義」に傍点]となって現われたりする。
 この反唯物史観的武器として取り上げられるものは、いうまでもなく史的観念論[#「史的観念論」に傍点]である。それは又次に、形式社会学[#「形式社会学」に傍点]としては、歴史的社会における一切の歴史的原理を放逐し、そうしておいて逆に歴史観を指導しようとする。唯物史観は、社会のこの普遍的恒常的な形式[#「形式」に傍点]に、特殊なしかも偏狭な内容[#「内容」に傍点]を無批判に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入したものとして、完全に排斥されるか、高々条件つきで市民権を与えられる。武器はこの場合その形式至上主義[#「形式至上主義」に傍点]なのである。
 社会学のこうした武器[#「武器」に傍点]がどれ程戦闘力を持つか、否どれ程戦闘力を有たないか、は今更問題ではないが、必要なことは、社会学[#「社会学」に傍点]なるものが、一般にいって、いつもこうした反唯物史観的武器[#「反唯物史観的武器」に傍点]の所有者だという点である。――だから、唯物史観を一つの社会学として、仲の好い社会学者達のサロンの食卓につけることは、単に唯物史観にとって馬鹿々々しいばかりではなく、社会学自身にとっても迷惑なことだろう。
 然し社会学が、言葉通り社会の学(社会科学)を意味するならば、そういう言葉をわれわれは何も好き嫌いしなくても好いだろう。
 で唯物史観が一つの社会の学であり、その限り社会学と呼ばれて好いとして、問題は、この社会学と他の社会諸科学(経済学・法律学・政治学・又歴史学・等々)とどう関係するかである。この問題は併し可なり原理的なものから来ている。
 ブハーリンは唯物史観を社会学として規定しながらいっている、それは社会と社会発展法則との一般的理論である、と。それは経済学や政治学という特殊の理論ではなくて一般的[#「一般的」に傍点]理論であり、又それは一般史
前へ 次へ
全137ページ中91ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング