。だが勿論そんなことは氏によって何かの根拠とされているわけではない。そういう一つの文化人的常識が事実動機になっているにしても、それを合理的論拠とするには、大河内博士はあまりに科学的だ。そこが政治家やファッショ壮士と科学者との異る点であろう。論拠は全く資本主義工業が低賃金高コストであるに反して、科学主義工業の方は逆に高賃金低コストになるからである。事実そうなっているのが現実だからというのである。ではなぜ低賃金高コストが悪くて、高賃金低コストが良いのであるか。併しここでも亦、氏は低賃金よりも高賃金の方が社会的な正義か何かであるからというような、「科学」外の論拠を持ち出してはいない。恐らくそういう現代の社会的通念が有力な動機にはなっているだろうが、併し之を以て合理的な論拠としようとするには、博士はあまりに「自然科学者」であるのだろう。氏の挙げ得る論拠は正に、そうでなければ日本の産業は国際的に太刀打ちが出来ないから、ということであるらしい。
だがそうなら、寧ろ低賃金と愈々の低コストの方が一層増しではないだろうか。科学主義工業は、単なる高賃金低コストの代りに、低賃金及び益々の低コストの方が益々合理的[#「合理的」に傍点]ではないだろうか。私は博士の社会正義観の如きものを知らないではない。だがそれが合理的な論拠となり得ない限り、最も合理的な科学主義工業は、寧ろ低賃金低コストでなければならない、という理屈に落ちざるを得まい。して見ると、大河内氏式の「科学主義工業」よりも、もっと合理的[#「合理的」に傍点]な科学主義工業が可能なわけだ。いや単に思考の上で可能なだけではない。やがてはいつかこの社会に実現する可能性が大いにあろうというものだ。いつか大河内氏がその制限つきの「科学主義工業」の観念をもう一遍清算しなければならぬ時期が、来ないとも限らない。もし今そこまで観念として徹底しないのだとすると、科学主義工業の低コスト高賃金主義には、多分の社会正義か何かのイデオロギーが含まれていて、それが暗々裏に心理的な作用を(論理的ではない作用を)営んでいるのではないだろうか。そしてこの心理的な作用の主が、どうやって氏の「科学主義」の内に編入されるのか、之は私にとって最も興味のある点でなければならぬ。
尤も、誰が考えても、低賃金高コストよりも、高賃金低コストの方が、合理的[#「合理的」に傍点]で
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