村工業」(「農村工業化」)の観念は、大河内氏にとっての初めの観念だ。農村に於ける工業の問題、或いは又、工業の農村化・地方化・の問題は、初め「農村工業化」という形で解かれようとした。だがそれの社会問題解決としての実地の総体は、失敗に帰したことをすでに述べたが、氏によるこの観念も亦、破綻せざるを得なかったらしい。世間は嘗て柏崎工場の如きに於ける農村工業化の現実が、如何に模範的に低賃金であったかを問題にしたが、之は大河内氏の「農村工業」の観念にとって恐らく有力な反省の動機ともなったろう。今や氏はかつての「農村工業化」という観念を清算する。之は資本主義工業にしか過ぎなかった。そして之に代わる新しいイデーが、科学主義工業だ。科学主義工業に立つ時、「農村工業」や「農村工業化」や「工業の地方分化」という公式は、「農村の副業としての工業」という公式に変らねばならぬ。
 かくて今や科学主義工業家としての大河内氏は、みずから『農村工業』を批判して云っている――
「農村工業は農村余剰労力を現金化するのがその主なる目的の一つであるとするならば、農村加工工業だけではどうしても其の目的が達せられない。其処に農産物以外のものを加工することが考えられなければならぬ。併し農産物以外のものを加工する工業は、農村と殆んど何等の関係を持たぬものである。農村に於て農家に少しも関係のない仕事が入り込んで来ることは、果して農村の機構や農村の精神に害を与えぬであろうか。……著者も嘗ては農村が工村化するのが、農村のために好いと考えた。併し今日はこれが非常な誤りであったことを、農村工業から得た体験によって自覚し得たのである。」(『農村の工業と副業』五五頁)。
 農村が工村化し、農村らしくなるのがよくない、という論拠であるように見える。して又なぜ農村の工村化が悪いかは、氏にとっては極めて深い「精神的」な根拠があることであるが、それは後に見よう。だが真の欠点は、そこにあるのではなくて、その裏にあるのである。氏は云っている、「工村と迄行かずとも、半農半工の村を造ると云うことは、農村の余剰労力を賃金化しようと云う考えから出る。そうして此の案の裏には、どうせ余っている労力だから、労賃は安くて好い、低賃金だから低コストで生産されると云う考えがひそむのである。」「著者も亦今から三年も前迄は、そう考えていた一人であった。」(五八―九
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