日本歴史に関する特に文法的に科学的な唯一の現代的教科書であると云うべきだろう。それ故唯物論研究会に於ける国史特別研究会(レクチュア)のテキストとしても、又其の他の学生の諸研究会用のテキストとしても、用いられているわけだ。
 国史に関する専門的研究をやっていない私としては、個々の具体的な問題、著者の文献批判・史的解釈・社会構成的カテゴリーの発見及び適用・其の他に関する詳しい意見をここに示すことの出来ないのは遺憾である。ただ本書を一つの歴史叙述[#「歴史叙述」に傍点]として又教科書[#「教科書」に傍点]として見る時、多少の意見を加えることが出来るだけだ。著者が「経済史的偏向」を克服しようとした試みは或る意味で高く評価されねばならぬ。歴史的認識は歴史叙述に於て初めて具体的になるものであるが、この歴史叙述は普通の社会構成論では片づかない要因を含んでおり、それが従来のブルジョア歴史学の伝統的な課題なのだが、この伝統は史的唯物論に於ても別な重要性に於て摂取されねばならぬからだ。
 著者が歴史的諸個性(事件・制度・人物・其の他)を叙述するに力めたことは正当なことだ。併しその点なおまだ充分とは云うことが出来ない。戦争と帝王との歴史が無意味であるのは云うまでもないが、社会構成に従うエポックから出発することによって、結果に於て依然として政治的[#「政治的」に傍点]エポック(新しい時代分けでもよい)を結論するというのが、歴史叙述の本道ではないだろうか。之によって初めて社会史の認識は具象的になるのである。その意味で経済史的文献の引用の類は本書では多少比重を失して多すぎるようで、之は補注でリファーする方がいいと思う。ブルジョア的教科書のひそみに倣うのでは決してないが、ブルジョア的教科書の大衆に対する説得力も、唯物論的教科書の大衆性と市民的通用性とから云って、現代、意味のあることだ。それからもう一つ、著者の調子のよい文調は考証的又理論的な推理の厳密さを忘れさせるような個所も時にはあるようだ。――だが要するに本書の教科書的な価値は絶大であり、その現代に於ける社会的意義は重いと断せざるを得ない。
 (一九三七年四月改版・白揚社版・菊判四八〇頁・定価二円)
[#改段]


 17[#「17」は縦中横] 小倉金之助著『科学的精神と数学教育』


 小倉金之助博士が二十余年間に渡って選集した評論集であり
前へ 次へ
全137ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング