、序篇の五篇は比較的旧いもの、本篇の十二篇は比較的新しいものである。序篇と本篇とを一貫するものは云うまでもなく科学的精神の提唱と検討とであり、又数学及び数学教育を中心とした自然科学乃至社会科学に於ける科学的精神の役割についての研究である。この一貫した根本主張は、すでに著者の著書『数学教育の根本問題』や『数学教育史』、『数学史研究』の内にも反覆主張され、また云わば実証されているものであり、博士の首尾一貫して変らぬ不羈独立の精神を告げて余りあるものだ。氏はみずからこの人間的態度を名づけてヒューマニズムとも呼んでいる。氏にとってはヒューマニズムという人間的態度と科学的精神との間に、絶対に切り離すことの出来ない直接連関があるのだ。ヒューマニズムと科学的精神とを対立させようなどとする現代の無知な文士や準文士達のヒューマニズムとは根本的に選を異にしている。尤も博士のヒューマニズムと考えるものは恐らくはレアリスティッシェ・シューレ(理科)に対するフマニスティッシェ・シューレ(文科)を連想させるものであり、特別に考え抜かれたものとは思われないが、それにしても、それが科学的精神の裏となり表となることによって、ハッキリとした内容を示している。
博士の根本主張は、数学教育は、科学的精神をば数学を通じて教育するにある、ということだ。数学は人間の日常生活の経験から抽象されて発達したものである。従ってそこにまた数学なるものの真に科学的なそしてヒューマニスティックな本質が横たわる。数学専門家は之に基いて色々の抽象的又構想的な数学体系を組み立てることが出来るにも拘らず、日常生活と直接するという本来の数学の面目を忘れない実用数学(直接に日常生活から出発する数学の謂)は、数学教育にとって本道でなくてはならぬ。数学の実用数学に於て現われるような経験的・生活的・な本質があればこそ、数学と物理学其の他の自然科学との交流も理解出来る。
私はさっき、数学の科学的[#「科学的」に傍点]な本質と云って解説した。科学的とはこの場合、博士によると歴史的・実証的・であることを意味する。事物の因果関係に立脚する発展法則を探求することだ。そして之がおのずから科学的精神なのである。だからこそ、生活に直接基いた数学を教育することによって、初めて、数学を通じての科学的精神の教育が行なわれ得るわけである。――かくて氏にとって実用
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