云っている。
 だが、それにも拘らず、之は云わば、部分的な進歩性の芽と、之と札つきの反動性との、不思議な結合なのである。現在までのヒューマニズム的常識(唯物論は今はこの常識を批判的に処理しなければならぬと私は考えるのだが)の批判としては極めて鋭い示唆に富んではいるが、ヒューム自身のカトリック的立場は札つきの典型的な反動の公式以外のものではないだろう。人間と神との絶対的隔絶(そういう反ディアレクティックとしての形而上学)やそこに必要なる原罪説(之は宇宙創造論に帰する)、客観性と科学性との名の下に却って人間性と文化的進歩と政治的満足感との無視、こうしたものはもはやカトリック主義には限らない処の今日の反動文化理論一般の様式の一つに他ならない。
 にも拘らずヒューマニズム批判としてこの本が重大な用途を有っているという点を、吾々は注目すべきだ。訳文はまだ少し固い処もあるが信頼すべき筋のものである。
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(一九三六年十月・芝書店版・四六判函入三三〇頁・定価一円六〇銭)(Thomas Ernest Hulme; Essays on Humanism and the Philosophy of Art, 1924 Ed. by H. Read の全訳)
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 8 勝本清一郎著『日本文学の世界的位置』


 四篇二十四個の論文からなる評論集である。全篇を貫くモティーフは題名が最もよく示している。「僕は欧州へ行って見て、始めて日本の醤油が非常にくさいものであること、日本婦人が揃いも揃って非常に出っ歯であることを発見した。これと同じ位いに現代の日本文学を客観的に展望して見たい」、という言葉を以て最初の論文を始めている。
「海外から見た現代の日本文学」では、日本の短篇が固苦しかったりケレンに堕したりして貧弱であること、短篇の形態にふさわしい素材をうまくものしていないこと、そして日本の長篇がまた単にノヴェルの形態であって決してロマンの態をなしていないこと、かくてどこにも見出されるものが随筆的性質を有ったものであること、を指摘している。著者は一方に於て之を日本のジャーナリズム機構の特性(新聞小説・雑誌文壇・単行本委託販売制度・其の他)に帰しており、之がこの著書の最も光った見解の一つになるのであるが、他方に於てこの随筆的性質の精神的由来を
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