ある。この三つの段階が例のアンジッヒ・フューアジッヒ・アンウントフューアジッヒ・の弁証法的連関に於て叙述されていることは勿論だ。
法(Recht)乃至抽象法は、日本語で普通或る意味で法律と呼んでいるものに相当する。と云うのは、法律という日本語はGesetz――法文・法律[#「律」に傍点]ばかりでなく、法文・法律[#「法律」の「法」に傍点]が云い表わすRecht――狭義に於ける法[#「狭義に於ける法」に傍点]をも意味するから。この狭義の法乃至或る意味での所謂法律が、まず道徳(吾々が今その観念を探ねている処の)の第一の現われ方だ、というわけである。法というヨーロッパ語は同時に権利[#「権利」に傍点]を意味していることを忘れてはならぬが、事実、権利のブルジョア社会機構に伝えられた一等著しいものは所有権だ。所有[#「所有」に傍点]は契約[#「契約」に傍点]と共にブルジョア社会(市民社会)機構の二つの根本的な法的道徳的現われだろう。この場合、市民社会に於ける反社会的不道徳は何かと云うと、所有権の否定や契約の不履行という不法[#「不法」に傍点]でなければならぬ。で、所有・契約・不法・の三つが法(
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