、道徳は単なる社会的強制ではなくて、更に強制される自分の主観自身がその強制を是認する、という点にまで到着する。この時初めて、道徳に就いて本当の価値感が成り立つのである。そしてこうして道徳の観念が構成される際の一つの方向は、道徳を主観の道徳感情・道徳意識に伴う価値感そのものだと考えることに存するようになる。こうして良心とか善性とかいう主観的な道徳観念が発生する。所謂「倫理学」は、こうした主観的な道徳観念を建前とする段階の常識に応ずる処の、道徳理論だったのだ。
 従ってこの「倫理学」は、道徳が有っている最も原始的な又は最も要素的な、例の社会的強制という性質を、殆んど全く忘れて了い勝ちなので、あとから社会道徳[#「社会道徳」に傍点]とか個人の対社会的義務とかいうことをいくら口にするにしても、その出発点に於ては、倫理学は前社会的又は超社会的・脱社会的な道徳観念に立脚しているのである。だから夫が社会的理論にぞくさずに、独立した倫理学となれるのだ。主観の名に於て社会を忘れ、個人主体から社会的な事物をも説明しようというのが、ブルジョア・イデオロギーの一つの基本的な特色で、之はヘーゲルの適切な言葉を借
前へ 次へ
全153ページ中75ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング