とだと解せられる。夫は自分や自分が属する部族氏族又家族に、ある一定の不幸を齎すかも知れない、神やスピリットは怒るかも知れない、からだ。併しそれだからと云って別に、この強制そのものがそれ自身に善なのだというような、合理的な理由による価値評価があるわけではない。だがそれにも拘らず之は立派に道徳――原始的な――なのである。でもし、原始社会を専らこの社会的強制という一フェースからだけ考察するならば、原始社会の機構は道徳的で又宗教的なものだということにもなるだろう(E・デュルケム『宗教生活の原始的諸形態――オーストラリアのトーテム組織』――邦訳あり――参照)。
 この原始的な道徳観念は実はやがて、現代人が道徳に就いてもつ最も原始的な観念でもあったのである。処でここに注意しておかなくてはならぬ点は、この道徳がこの際(夫が原始宗教の形をとる場合でもよい)、他ならぬ社会的[#「社会的」に傍点]強制だったという点である。道徳はここでは全く社会的[#「社会的」に傍点]なものと考えられているのである。処が道徳に就いての観念がもう少し進歩すると(そしてこの進歩は実に社会そのものの進歩の結果に相応するものだが)
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