は見たのであるが、この倫理学なるものが如何に独立独歩の専門的学問であり、その根本問題(自由とか人格とか理想とか)が如何に倫理学にだけ特有なものであったとしても、結局それによって生じる道徳なるものの観念は、今日のブルジョア常識による道徳観念の、埒外へ出るものではない。道徳は非歴史的で超階級的で、普遍的で形式的であり、真に社会的な何ものでもない。在るものは個人主義道徳(個人道徳)か、個人主義道徳の単なる社会的拡大でしかない(R・ナトルプの「社会理想主義」の如きが後者だ)。このおかげで道徳は、今日の観念論の権威と神秘との聖殿に他ならぬものとなっている。何か倫理学的な独立封鎖領域があって、凡ての社会理論はこの聖地を訪れることによって初めて人間的価値を受け取る。そして而もその際、道徳とは、多くの場合(一二の例外は別として)、道徳律や修身的徳目のことでしかなく、善悪の標準のことでしかなかったのだ。
倫理学はこのようにして、道徳という常識観念をただ哲学的に反覆するものであるにすぎない。道徳的常識の批判どころではない所以である。――道徳は倫理学によって、全く卑俗な矮小な憐むべき無力なガラクタとなる。
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