定不動なものだという考え方から脈を引いているのである。――なる程道徳と名づけられる一つの領域が存することを、吾々は何としても疑うことは出来ないだろう。だが夫は何も道徳という独立な世界がどこかでハッキリとした柵をめぐらしているということにはならぬ。問題はいつも道徳の領域と他領域との交流[#「交流」に傍点]であり而もその本質的な交流なのだ。道徳と政治との交流はシュタウディンガーも触れているが、卑俗な形では現に政治の倫理化とか政教一致とかなって現われている。特に道徳と法律との交流は著しいので、ヘーゲルなどは両者を「抽象法」の名の下に一緒に取り扱っていると云ってもよい。アメリカの法律家ロスコー・パウンドは実際家の見地から、この交流に就いて興味深い分析を加えている(『法と道徳』高柳・岩田訳)。
 だがそれより以上に大切なことは、一体道徳なるものが、一般に一つの領域だ(その限界は機械的に与えるべからざるものでその内容も固定不変なものではないとして)と云って片づけられ得るかどうかなのだ。と云うのは、道徳は社会関係・政治関係・法律体系・其の他其の他と並列[#「並列」に傍点]する一領域であると考えられる
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