にも拘らず、他方之等一切の諸領域の一つ一つに接着していることをも見落すことが出来ないのである。そういう関係があればこそ、社会そのものが道徳的本質に還元されたり、政治や法律が単なる道徳に帰着されたりするということも初めて可能だったわけで、社会主義が倫理学に包括されて了うという誤りも、決して理由なしには発生しなかったのである。でもしそうだとすると、道徳はもはや単なる一領域であるに止まらず、恐らく一領域であるにも拘らず他領域をも蔽うか又は之に付随するかする処の、或るものだと云わねばならぬ。之をなお或る種の領域だと云うことは自由だが、それはもはや之まで云って来た意味での一領域ではない。
 だから、例はやや飛躍するが、プラトンが善のイデアを最高のイデア、諸イデアのピラミットの頂点と考えたことには意味があったわけで、善のイデアはもはや他の諸イデアと並列したものではなく、一段と高いオーダーにぞくすることを意味するのだと解釈すべきだとも云われている。だがそうだからと云って誰もプラトンを汎道徳主義者や倫理主義者に数えようとはしないだろう。――つまり凡てのものを道徳に還元しようという各種の汎道徳主義乃至倫
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