な狭い領域にとじこめられた観念としてではなく、之を最も広範な含蓄を持った観念にまで深化するもののように見えるかも知れない。だが実は、これこそ何よりも、道徳の独立領域[#「独立領域」に傍点]という常識観念の誇張の結果そのものなのだ。
 カントは経験界とは全く独立な之とは全く絶縁した本体界を、英知界を、道徳の世界・道徳の領域と考えた。之は道徳という領域が何かハッキリと決って他の領域から機械的に限界されて横たわっているという一つの根本的な常識を、批判体系の根柢として採用したことであって、シュタウディンガーやM・アードラー、フォルレンダー達のカント社会主義者は、多かれ少なかれ、この常識のこうした科学的合法化の後継者に他ならなかったのである(この点に関しては米田庄太郎『輓近社会思想の研究』上巻が参考となる)。
 道徳の領域が何かハッキリしているように想定されるのは、実は道徳に関する観念自身が機械的に固定しているからなので、道徳という観念と他領域の観念との間に機械的に限界を引き得るとか、道徳という観念は固定不動なものだとか、考えることに由来する。そしてこういう考え方は要するに道徳の内容そのものが固
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