常識を利用したからと云って、この理論自身が常識を仮定しているということにもならず、ましてこの理論が常識的だということにもなるのではないが、にも拘らずここで常識的限界が利用されているという事実は今大切だ。
史的唯物論を模倣した一例はF・シュタウディンガーの著書『道徳の経済的基礎』(岩波文庫版)である。之によると経済が道徳を決定するというのであるが、処がこの道徳なるものは、要するに単に社会秩序乃至社会機構のことに他ならないのである。人間相互の物的関係や利益社会関係や共同社会関係が道徳の材料であって、この共同社会関係が他の社会関係の上位に位するようになることが、取りも直さず道徳ということだと考えられている。従って道徳は、もはや経済機構自身や社会機構自身と領域的に別なものではないので、社会全体が道徳的本質に他ならぬものとなる。社会主義も亦一つの倫理学に帰着する。政治も亦道徳に他ならない、ということになっているわけである。――社会を道徳に還元することは独りシュタウディンガーに限らず、多くのカント社会主義者(乃至カント主義的マルクス主義者)の共通特色であって、一見之は、道徳や倫理を、もはや常識的
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