つ最大多数の最大幸福説――之はベッカリーアの思想から糸を引いていると云われる――を見よ)。そして最後に、ホッブズが善悪の対立を法不法の対立に還元することによって、道徳を少なくとも何よりも道徳律[#「道徳律」に傍点]として理解せねばならなかったことを注目しなければならぬ。之も亦その後のブルジョア倫理学に於ける常識的道徳観念の一つの形態をなすものである(之はカントによって探究された形態の「道徳論」だ)。
だが、道徳がその本質を社会[#「社会」に傍点]の内に持っているということは、ホッブズの倫理説によって初めて真向から取上げられた処の、忘るべからざる特色なのである。この特色は事実上唯物論(機械論)的倫理学と必然的な関係があるものであって、後にエルヴェシウスなどは十八世紀に於けるその代表者でなければならぬ。尤も機械的唯物論は道徳の歴史的[#「歴史的」に傍点]発達を理解し得ないのを常とする。従って之によっては道徳の社会的本質は、本当の処を理解し得ないのが当然だ。之は機械論的唯物論的倫理学の最大の根本的欠陥であると共に、同時に又、ブルジョア観念論的倫理学にとって略々共通の(ヘーゲルは除く)根本的
前へ
次へ
全153ページ中60ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング