遺漏に他ならない。
 かくて吾々は、ホッブズの倫理学とそれに基くブルジョア倫理学なる独立領域の成立との内に、近代ブルジョア通俗常識[#「通俗常識」に傍点]による道徳観念の、根本的な諸規定(夫を私は第一章で述べた)の殆んど一切の萌芽を見ることが出来ると云っていいだろう。――だがそれにも拘らずここにはまだ、近代ブルジョア観念論的倫理学の、最も大切な二三の根本問題が盛られていないのである。現にホッブズのは本来が唯物論的倫理学に他ならなかった。近代ブルジョア観念論が最も愛好する倫理学的テーマが、それにはまだ欠けているのだ。そしてこの特有に近代倫理学的なテーマを介して、ブルジョア観念論一般が、ブルジョアジーの通俗常識を踏み越えるようにさえ見せかける筈である。――一体ホッブズ倫理学では、すでに古典的に現われた道徳の諸問題を、何と云ってもあまりに機械的にそして簡単に、片づけて了った憾みがあっただろう。

 ブルジョア倫理学の観念的代表者は他ならぬI・カントである。尤もカント哲学は必ずしも純粋なブルジョアジーの哲学ではなくて、それのプロシャ的啓蒙君主的変容に相当するものであるが、併しカント哲学の新鮮味
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