と自由意志[#「自由意志」に傍点]との問題なのである。之はギリシア倫理学では殆んど全く存在しなかったものであると共に、之なくしては近代ブルジョア倫理学を考えることの出来ないような、根本問題なのだ。こうした根本問題がアウグスティヌス(広くキリスト教倫理学)から発生したのである。
さて私は以上、古代(乃至中世)に於ける道徳理論乃至倫理説・倫理学の三つの典型と、夫々に含まれた課題とを述べた。そしてこの三つのものが、夫々の形に於て、如何に観念論と不可分な関係に立っていたかを見た。――之を頭においた上で、近代ブルジョア倫理学の課題と特色とを見よう。
古代に於ける倫理思想がそうだったように、近代に於ける倫理思想の自覚も亦、一般思想の激しい動揺、即ち社会機構の著しい変革によって促された。すでに述べたように、道徳は社会秩序の分泌物のようなもので、従ってその反映である道徳意識乃至倫理観念は、社会秩序の上部構造的な表現に他ならないが、社会秩序が比較的安定を得ている場合には、その道徳乃至道徳意識は、自分の内に何等の抵抗も矛盾も感じないので、倫理思想は殊更自覚される縁もなければその必要もない。倫理が問題
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