が、倫理上の問題とならぬば[#「ならぬば」は「ならねば」の誤記と思われる]ならぬからだ。彼によると、個人が神の僕であると同じに、社会は神に仕えるためのものであって、全く道徳的本質のものだ。山賊ででもない限り、人間はこの社会の正義たる国法を遵らねばならぬ、と云うことになる。特にキリスト教国に於ては、社会の倫理的行為たる教育は、神の認識を教えることだけで充分であって、ギリシア人的な自然研究などは無用有害だと云うのである(尤も言語・弁証術・修辞学・数理論は必要だとする――事実アウグスティヌスは優れた文化人であったことを忘れてはならぬのだ)。――かくてアウグスティヌスの神に基く神聖倫理は、つまり世俗のカエサルの帝国に於ける常識的な階級道徳そのものと、少しも実質を異にするものではない。倫理学に於ける神学的観念論[#「神学的観念論」に傍点]はここに始まる。
アウグスティヌスによって道徳の観念は宗教倫理的なものとなった。ここに含まれる特有な道徳問題は、単に善(或いは悪)や幸福(乃至浄福)の問題ではなくて、恩寵であり永生であり、そしてもっと大事なのは、之に直接関係のある悪[#「悪」に傍点](根本悪)
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