エピクロスは甚だ社交的な敬愛すべき哲人だったので有名だが、その道徳理論は、略々ストアのゼノンと同じに、不動心[#「不動心」に傍点]という知的エゴイズムに他ならなかった。
 これ等の道徳理論家達は、ギリシア・ローマ期を通じての社会的動揺に処してその道徳を社会に於て貫く代りに、之を個人生活の生活術にまで萎縮させることによって、道徳を著しく倫理学的なものにした。道徳の観念は個人主体の心理にまで深められはしたが、併し之を、知的に見れば全く便宜的なものに他ならない処世術に仕えさせたがため、結果として退屈な徳目の教説に終らざるを得なかったのである。彼等による道徳の問題は幸福の探究[#「探究」に傍点]であったのだが、この実践的な課題の解決も、社会的に見れば完全な無為無能を意味する個人の心の静けさ以外には求め得なかった。之ならば奴隷にも抑圧された原始キリスト教徒にも、カエサルと同様に、あて嵌まるわけだ。個人主義的、主観主義的な観念論的道徳観念の、古代的な代表が之なのである。
 古代乃至中世に於ける観念論的道徳観念のもう一つの典型は、教父乃至スコラの倫理説であるが、その根源的なものは教父・聖アウグスティ
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