物が根本的な解決を与えられるわけではない。この点、近代倫理学の心がけや主張と可なりに違っているのである。今日の倫理学は、実際上今日の(ブルジョア)政治学や(ブルジョア)経済学と殆んど全く何の関係を有たずに済む哲学の一分野となって了っている。尤もイギリスに於けるブルジョア倫理学の発生当時の動機に於ては決してそうではなかったのだが、夫が今日ではそういう退屈なことになって了っている。このことに一定の意味があるのだ。と云うのは、こうしなければ道徳に就いてのマンネリズム的な常識的観念の允許を得ることが出来ないからだ。ブルジョア哲学そのものの内部に於ても、倫理学という専門学科は孤立した独自のシステムを持てるものだと倫理学の教授達は想定している。多くの倫理学の教科書は、そういう立場から今日安心して書かれ得るという実状だ。
 従来「倫理学」という名がついた書物や理論でも、必ずしも近代ブルジョア学問の一つとしての所謂「倫理学」でない所以は、スピノザの哲学体系たる『倫理学』を見ても分ることだ。――こういう風にして、古来から存する倫理思想や自称倫理学の書物は、決してそのまま今日の所謂「倫理学」でもなければ又
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