云って、その内容をすぐ様近代の倫理学の発端と見做すことは誤りであるし、又之が学問の世界に於て占めた位置関係から云って今日の所謂倫理学と同じだったとも云えない。第一そこで問題になる善(To Agathon)の観念にしても、近代倫理学で問題になっている所謂道徳や倫理の善悪の善[#「善」に傍点]のことではないので、それより活々として、真理で美しくて有益で怡ばしいものを意味している。従ってこの倫理の根本観念が占める理論上の地位は、遙かに今日のものよりも実質的な重大性と含蓄とを有っていたのだが、併しそれだけに却って、倫理学自身の独立性はあまり著しくは現われ得なかったわけだ。プラトンの国家論は寧ろ道徳論にぞくするユートピアだろう。
 現にアリストテレスでは、倫理学(エティカ)の位置は経済学(オイコノミカ――之は純粋にアリストテレス自身のものではないらしいが)と政治学(ポリティカ)とに先立つ処に意味を有っている。まず個人の問題を解いてから次に家庭の問題、それから社会(国家)の問題を解いて初めて、この一連の課題[#「一連の課題」に傍点]は解けるのである。倫理学だけを取り出しても、それだけで道徳という事
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