」に傍点]を世間に向かって承認させるには充分であった。尤も極めて日常常識的なイギリスの哲学者自身は、倫理学なるものの学問としての独立性や限界や対象の規定方などに就いて、あまりアカデミックな興味は有っていなかった。彼等にあっては倫理学はもっと遙かに活きた実際的な意味を持っていたからだ。倫理学という観念を却ってイギリスの倫理学者達に向かって教えたものは寧ろ、講壇哲学的学校訓練を持っていた後のドイツの哲学者であって、特にカントの批評的道徳哲学はここに与って力があった。T・H・グリーンの『倫理学序説』は、ドイツ哲学によって講壇化された処のイギリス倫理学、の代表だと云ってもいいだろうと思う。だがグリーンの倫理学と雖も、政治上に於ける自由主義運動と深い実際関係を有っていたことは、注目すべきだが。
こうして歴史的権威を認められた所謂「倫理学」は、今日では往々、それの科学論的な省察――方法論の如きもの――から始められねばならぬと考えられている。ドイツの哲学教授の手によると、倫理学の問題は道徳という広範な現象の問題であるよりも先に、倫理なるものに就いての学問や科学や哲学自身に関する問題であるように見え
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