則的な変化を期待することは事実不可能だ。それは吾々が道徳に就いて懐いている観念そのものから云って、避けることの出来ない一結論だろう。だがそうだからと云って道徳問題の解決への道を想定せずには、一切の社会理論も文化理論も現実的ではあり得ない、ということも見落されてはならない。
 社会理論が現実的となり大衆的となればなる程、道徳問題の意義がハッキリして来るだろう。つまり道徳という大衆の生活意識の総括的な要約点が解明されなければ、大衆の社会意識は納得が行かないからなのだ。社会の客観的現実は、多かれ少なかれ社会大衆の生活意識の内へ、道徳意識として反映されるものだという、道徳意識なるものの根本的な役割をここに見ねばならぬ。道徳は出来合のあれこれの事物のことではなくて、社会秩序が刻々に発散する汗か脂のようなものだ。社会人の意識は之を吸収して生活意識のさし当りの内容とする。――新しい道徳を伴わない如何なる社会建設も文化建設もない。社会建設が現実に始まり、文化建設が現実的に企てられる処には、すでに道徳の建設がある。このことはソヴェート・ロシアに於ける性道徳の歴史を見ても判るし、フランス大革命直後に於ける
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