傍点]はそこで、この真の常識[#「真の常識」に傍点]と、略々一致する内容のものだと推定するのは、そんなに無理なことではあるまい。私は尤も、まだ真の道徳なるものに就いて積極的には何も説かなかった。だが、もし仮りに今、本当の意味に於ける道徳による道徳意識を、人間の社会生活意識だと見做していいとしたら、道徳が常識だ、という云い方は、この場合にも無理ではあるまい。世間では道徳意識を良心とか法への服従とか習俗の尊重とか考えるが、之は人間の社会生活意識の夫々の内容でなくて何であるか。――俗間の所謂常識による道徳の観念が所謂常識なる観念と相蔽うということをすでに見た。真の道徳と真の常識とも亦、その内容が略々同一のものだと云うのである。

 吾々が現下に於て道徳に就いて物を考えねばならぬという根拠は、云うまでもなく既成のブルジョア的乃至半封建的な道徳の批判克服を通じて、自由な新しい生活の道徳を探究建設せねばならぬ事情に置かれている、ということの内に存する。之は社会機構の必然的な変動の一部分であり、又その結果であるべきであり又夫を予想しての準備でもあるのだ。道徳の変革によって併しながら、社会そのものの原
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