ことでさえある。だが実は、道徳は常識とこそ一致すれ、実は人間生活[#「人間生活」に傍点]そのものに就いてはその常識的意識をさえ満足させないのだ。この道徳は社会人の生活意識を少しも満足させてはいない。だからこの道徳程人間の社会生活の正直な佯らない興味から疎隔したものはない。道学者や腐儒や法律の学者の類が、俗物から軽蔑される所以が之なのである。
 だが以上、常識々々と云ったが、之は専ら所謂常識と呼ばれる社会に於ける下級な平均価的な惰性的な知識のことであって、人間の社会生活を統一する処の生活意識の原則を意味する処のあの「常識」のことではなかった。卑しめられた意味での常識であって、「健全な常識」とか良識とかいう意味での夫ではなかった。この卑しい常識が自分の相手として、或いはその双生児として、常識的な所謂道徳[#「道徳」に傍点]の観念を選んだことは、だから初めから不思議なことではなかったのだ。
 処で私は先に、真の道徳なるものが、常識的な道徳観念では片づかない所以を見て来た。そして今や、その常識そのものに就いても、云わば常識的観念に帰するものと本当の常識との区別を見た。真の道徳[#「真の道徳」に
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