カエサルという個人が個人的であり個性的であることと、共通なことである。無論二人の個性は別だが、歴史家は二人が夫々の異った個性の、有ち方までを異にしているとは考えない。そういう不公平な歴史家は少なくとも科学的な歴史家ではなくて、ナポレオン党員か何かだろう。処がナポレオン自身[#「自身」に傍点]は、自分がナポレオンであるという関係と、或る男がカエサルだという関係とを、同一共通なものとは考えない。もしそうでないと反対する読者がいるなら、その読者が偶々ナポレオンでないからに過ぎない。何人も「自分」の自分を他人の自分と取り換えることは出来ない。ここに古来人間が一日も忘れることのなかった「自分」というものの意味があるのである。この自分[#「自分」に傍点]はもはや決して個人[#「個人」に傍点]ではない。個人はなお一般的だ、従って「自分」こそ最後の特殊的[#「特殊的」に傍点]なものだ、ということとなる。――処でモラルはこの「自分」というものと深い関係があるだろう。

 問題はそこでまず、この自分なるものが社会科学でどう取り扱われ得るかである。自分というこのごく日常的な常識にぞくする観念を、下手に哲学的
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