較べれば個人(或る意味では主観乃至主体)は、確かに論理的に特殊者[#「特殊者」に傍点]だ。個物は特殊者だ。処がこの個人なるものも実は、社会の普遍性とは異った併し一種の普遍性・一般性を持っていることを見落してはならぬ。「これ」とか「この」とか云っても、「あれ」も吾々がそこを注意すれば「これ」であり、「あの」も吾々がそこへ行けば「この」に他ならぬ。つまり「これ」ということ[#「こと」に傍点]と「これ」と云われるもの[#「もの」に傍点]との間には、一向必然的な結合はないのだ。吾々はバットを「これ」と指さしてもいいし、チェリーを「これ」と呼んでもいいわけだ。――尤も、もしもバットに霊あらば(あまり唯物論的な仮定ではないが)、彼は自分をしか「これ」と呼ぶことは出来ず、チェリーとチェリー氏はいつも「あれ」とか「かれ」とか呼ばれるに違いないが。でこの特殊性をもった個体は一般性[#「一般性」に傍点]を有っているものだ。
だがこの一般的な個人(或る意味では主観や主体もそうだが)は、まだ決して「自分」(「私」「我」「自我」等々)ではない。と云うのは、ナポレオンという個人が個人的であり個性的であることは、
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