ものではないという、云われて見れば初めから当然至極なこの関係を、ハッキリ組織的に解明したことにあった。往々世間では、史的唯物論が客観的な社会機構だけしか問題にし得ないもので、個人にぞくする諸問題は之を忘れるか避けるかするのだ、という風に誤解しているが、この誤解は少なくとも史的唯物論による道徳理論を見るならば、氷解することだろうと思う。元来社会科学は個人を問題にしないどころではない。実は例えば、如何なる個人は如何なる社会条件の所産であるかを問題にすることこそ、社会科学の具体的な現実的な課題なのだ。なる程社会科学が与える諸々の公式は、一般的な通用性(尤も之は歴史的な適用条件を持っているのだが)を有っていればこそ公式である。併し又特殊の夫々の事情に向かって特殊的に適用されないような公式は、元来何等一般的な公式ではないのだ。公式はいつも特殊化[#「特殊化」に傍点]され得るものだし又特殊化されねばならぬ処のものだ。従って社会機構の一般的諸関係を云い表わす社会科学的公式は、当然個々夫々の特殊事情に相当する処の各個人[#「個人」に傍点]の場合々々について、特殊化され得るし又特殊化されねばならぬ。社会
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