道徳の夫だろうが、ソヴェートの道徳的実験はここでも見事に成功した。ここではただ、旧い「道徳」なるものを忘れさえすれば、真に道徳的になれるというような具合である(コロンタイ『新婦人論』やS・ヴォリフソン『結婚及び家族の社会学――マルクス主義的現象学入門』などが、この点の参照となる)。
さて道徳を社会規範・階級規範として説明出来た限り、実は、神秘的なニュアンスを歴史的に纏っている道徳という言葉などは、もはや理論的にあまり賢明なものではなくなった、ということを告白しなければならぬ。それだけではない、今まで人々が道徳という名の下に日常見聞きしてなれ親しんでいる旧既成道徳が、根柢的に新しい形のものとおきかえられたような実例に臨んでは、「道徳」という言葉は心理的にもあまり尤もなものではなくなって来ただろう。
元来道徳という言葉は通俗常識が最も愛用する言葉であって、吾々が日常この言葉を尊重しているのも亦、全くそれだけの理由からなのだが、処で通俗常識が之によって何を意図していたかというと、認識の不足と認識の歪曲とを、事物の科学的理論的分析と説明との欠乏と忌避とを、夫によって埋め合わせて合理化そう
前へ
次へ
全153ページ中111ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング