秩序界だ、というのは、独自の体系をなすことが出来る(尤もそれは存在[#「存在」に傍点]の世界の体系ではないが。)今物質界乃至存在界が独自の体系をなすことは自明だろう。処でこの二つの独自の体系が並べられたとすると、簡単に一つの存在と一つの意味とを対応させて済ますことは出来なくなるので、意味は更に意味同志、存在は云うまでもなく存在同志、の間に、意味的連関や因果的交互作用的関係を有っている。――この二つの体系を総合することは、二つを簡単に加え合わせるようには行かぬ。二つを掛け合わせなくてはならぬ。と云うのはつまり、存在の体系に意味の世界を附加[#「附加」に傍点]することによって、存在の体系をば意味の世界を含んだ[#「含んだ」に傍点]体系にまで、拡張的に[#「拡張的に」に傍点]組織し直さねばならぬということだ。個人から自分なるものへの橋渡しをするためには、そういう論理的工作が要るのである。――モラルとはこの論理的工作の内に、必然的に出て来るものだ。
私は少し長々しく、認識論めいた議論を試みたが、之は全く、自分というあの一見判り切った日常観念を、少しばかり而も常識的に反省して見る必要があったからだ。でその結果は、存在の体系を、どうすれば意味の世界をも含んだ体系に、拡張出来るかという、論理上の工夫を考えねばならぬということに帰着する。
存在の体系の諸規定を云い表わす諸範疇は、実験的・技術的な検証性を有った処の、技術的な科学的概念[#「科学的概念」に傍点]である。だが之だけでは意味の世界を含んだ体系を築くカテゴリーにはなれない。そこでこの科学的範疇を、意味の世界との連絡と云い表わし得るようなカテゴリーにまで、改造しなければならぬ。それには他の手段はないので、実験的技術的に検証し得るというこの科学的範疇の性質を、或る点で制限し、比較的且つ一応そうした検証的実証性から独立に見えるような性質を、外被のように之にかぶせる他はないだろう。実験的科学的機能だけではなく、そういうものから一応比較的に独立であるように見える機能をば、この実験的科学的機能という肉体の上に、被服として纏わらせねばならぬ。こうしてこの科学的概念[#「科学的概念」に傍点]は、様々のニュアンスを得、一種のフレクシビリティーを得、例のギャップを飛躍する自由を得るのである。この機能は空想力(想像力・構想力)とか象徴力とか誇張力とかアクセント機能とかだ。
こうして大体象徴的な性質を有たされた限りの科学的概念は、もはや之までの科学的概念ではなくて、文学的表象・文学的影像[#「文学的表象・文学的影像」の「・」を除く部分に傍点]である。象徴や空想や誇張其の他は、そうしたニュアンスやアクセントは、正に文学的な影像と観念との、特色ではないか。――この間の消息の内に、一般に、科学と文学(独り文芸に限らず広く芸術一般に於ける精神・イデーでよい)との論理的連関が設定される。そして今この科学的概念が社会科学乃至史的唯物論のものだとすれば、この文学的表象が持つ象徴や空想や誇張その他の、この非存在的[#「非存在的」に傍点]な機能が、自分[#「自分」に傍点]というものを個人[#「個人」に傍点]から区別する例のギャップを埋めるものに他ならぬ。個人とは社会科学的概念だ。之は史的唯物論によって片づく。之に反して「自分」とは、文学的表象だ。之は一切の文学的又実に道徳的なニュアンスとフレクシビリティーとを有っているだろう。個人に関する体系は立派に社会科学という科学になる。だが自分に就いての体系は、文学にはなっても科学的――実証的・技術的――理論とはならぬ。ニーチェやシュティルナーなどの自我思想が文学的特色を有つのは、広義に於けるそのスタイルの問題には止まらない。
さて私はどうやら道徳・モラルの問題に帰ることが出来るようだ。以上に述べた科学的概念と文学的影像との関係、科学と文学との関係、の内に、モラル(文学的観念による道徳)なるものが横たわるだろうからだ。
モラルとは自分一身上の問題であった。尤も之は何も個人道徳[#「個人道徳」に傍点]を意味するのでもないし、又道徳が個人的なものだというのでもない。個人が自分[#「自分」に傍点]と別だということは既に述べた処だ。寧ろモラルは常に社会的モラルだ。社会機構の内に生活する一人の個人が、単に個人であるだけでなく正に「自分」だということによって、この社会の問題は所謂社会問題や個人問題としてではなく、彼の一身上の[#「一身上の」に傍点]問題となる。一身上の問題と云っても決して所謂私事[#「私事」に傍点]などではない。私事とは社会との関係を無視してもよい処のもののことだ。処が一身上の問題は却って正に社会関係の個人への集堆の強調であり拡大であった。社会の科学的理論の体系も亦、こ
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